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パターソン always another day

ジム・ジャームッシュ監督の映画を初めて見たのは高校生の時だった。”stranger paradise” “down by low” “permanent vacation” の3本を深夜のテレビで放送していたのを録画し、何度も見たのを覚えている。特に”down by low “はお気に入りでこの映画を通じてトムウェイツやジョン ルーリーを知ったりと、私の文化的情報世界を広げてくれた作品たちだった。きっと青春を謳歌してる高校生にとっては退屈な作品だろう、しかし当時の私にとっては作品の醸す雰囲気が 、日々の高校生活のだるい感じにしっくりくるものだった様に思い出すのだ。それと同時にモノクロで画面の荒い感じに芸術性の高さと、シュールで淡々とした、結局何も大きな出来事が起こらないストーリーは、なぜだかほっとする親近感を感じていた。それは何なのか、今回見たジムジャームッシュの2015年製作の映画”パターソン”を見て明解になった様に思う。

映画のタイトル“Paterson”はアメリカ ニュージャージー州にある都市の名前である。と同時にこの映画のアダム ドライバーが演じる主人公の名前もパターソンという。物語はこの主人公の仕事と生活を中心に描かれている。パターソンはパターソン市営のバス運行会社のドライバーで、毎日朝6時10分には妻のローラの横で目を覚ます。そして小さなカップでシリアルを食べ ローラの用意しておいてくれたお弁当を持って仕事場に出かける。そんな単調な毎日のとある7日間の出来事の物語だ。

パターソンは口数は少ない分 日々の些細な気付きを詩に綴る。例えば いつもテーブルに置いてあるマッチボックスを題材にした詩を書いたりと、とても些細で変哲のないことでも洞察力のある目を通して特別に捉えることができるだ。バスの中での都度都度のお客同士の会話や、毎日散歩がてら立ち寄るバーで、ビールを飲みながらマスターとパターソン出身の偉大な人々についての語ることなど 同じ様で違う新い毎日を感じなから生きることを愛していて、それが詩の題材になっている。 また妻のローラとペットのブルドッグ マーヴィンのキャラクターもこの映画の大きなエッセンスだ。ローラは美しいラテンの女性 芸術的な感性を持ち、まるでおもちゃ箱みたいな性格、パターソンを少し困惑させるが、刺激的で飽きさせない。この2人の様なコミュニケーションを実際に続けることができたなら、きっとずっと幸せな夫婦でいられそうな気がする。これは現実味に欠ける関係にも見えるかもしれない?が、、でもお互いに少しづつ相手を思って言葉を呑み、呑み込んだものを表現(パターソンは詩、と夜の散歩 ローラはペインティングやギターを引くことなど)で別の形に変えみる そしてまたお互い向き合った時にきっといい関係も保てる 思うのは安易だろうか?そんな2人の生活をさらにキュートに見せているのはブルドック マーヴィンだ。、マーヴィンはパターソンが大好きで、いつも上目遣いで夫婦のことを見て、焼き餅を焼いている様な感じだ。動きや鳴き方などその存在感はもう主役級、マーヴィン見たさに何回もこの映画を見ていると言ってもいいくらいかもしれない。イングリッシュ ブルドックがこんなに可愛いとは知らなかった。物語の中の出来事 バスでのアクシデントや、バーでの騒ぎなどがあるものの、それらはパターソンにとってそう大事にはならずに済んでいる。彼にとって一番大きな事件は実はマーヴィンが起こした取り返しのつかないことだったが、、これはあえて書かずに置くことにする。わんちゃんだって置いてけぼりはやっぱり寂しいよね。

主人公の愛犬マーヴィン

さて この映画のもう一つの需要な要素は ウィリアム カルロス ウィリアムズ(1883−1963)というパターソン出身の有名な詩人の存在だ。映画の中で彼の詩集からの作品がパターソンによって読まれたりする。きっと監督自身も尊敬する詩人であって、この映画はその詩人と詩人の生まれ育ち生活したパターソンという土地に対してのオマージュだったのではないかと思う。主人公もウィリアムC .ウィリアムを尊敬し詩のスタイルに影響を受けている。そのスタイルは 日々の中に潜んでいる偶然や、人間の知性の輝きや自然の美しさや、愛してる人が自分と言葉でないところで通じあっているとわかった時の喜びなど それは特別ではない日々の営みにあるといこと そしてそれこそが、詩なのであると気づかせるものだ。それは映画が一番伝えたい事だったのではないか。そう思ったら私はパターソンのバスを運転しているシーンに涙が出てしょうがなかった。

最初に言及した どうしてジムジャームッシュの映画はほっとするのかの問いについて、それはきっと物語に特別なバイオレンスアクションも奇異な現象もないところで、そんなことを描かなくても 人間や世界の存在は非常に面白い、ということを発見する感受性に満ちたビジュアルとストーリーを作っているところだ。しばしば 登場人物が見つめる先の風景が5秒ぐらい沈黙と共に静止画になる、そこから感じるのはじっと見つめることで理解する言葉の彼岸の感覚だ。きっと私とジムジャームッシュはかなり感覚や趣味が近いと見たぞ!なんてね。30年前にすでにそれを得ていた私は、あの頃と同じ感覚で今も世界を感じている。ジムジャームッシュ映画はその感受性の反応バロメーターなのかもしれない。  

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