MIDSOMMAR アミニズムとカタルシス
この映画を劇場で見たのは、コロナウィルスが叙々に国内に流行り出した頃だった。上映会開始時間ギリギリ劇場に駆け込むと、予想に反してほぼ満席状態、コロナで人が密集するところは避ける様にとニュースでも伝えている中、この映画は結構空いてるのではないかと、皆さん思い込んできたのかもしれない。劇場内は真っ暗、どうにか自分の席を見つけ マスクをつけたまま映画は始まった。
この監督 アリ アスターの映画は初めて見る、ウェブ広告では色彩豊かでホラーのイメージとはかけ離れた雰囲気を伝えている。そんなイメージのギャップに多くの人が興味をもったのかもしれない。私もその1人だ。太陽のサンサンと照る中で繰り広げられる恐怖ってどんなのか?白昼の悪夢はどんな怖さなのか?そんな期待を持たせる、画像である。アートの世界ではそういったギャップの見せ方は多くある、色味や構成でおぞましいモノをいかに美しく見せるかが腕を見せるとところだ。きも可愛いとかグロ可愛いとか、そう言う表現が昨今はされているが、まさにこの映画はそこをしっかり考え抜かれているといえる。女性も足を運ぶホラー映画としてきっと興行成績も上がっているに違いない。そして もっと言って仕舞えば 鑑賞直後は混乱をするがしばらくして、女性がスッキリしたーっと思える 私にとっては画期的な映画だった。
さて 物語はアメリカのヒロインのダニーを含む大学生が、スウェーデンの精霊信仰のある村で開催される90年に一度の祝祭に参加するところから始まっていく。ミッドサマーは夏至の意味で、一年で一番 昼の長い時期 その村は一日中太陽のの沈まない場所。村では共同体を第一に考え、その自然の中にある神の方法に従うことが人々が生きる方法となっている。個人主義の世界からきた学生たちは、その違和感に恐怖を感じながら過ごすことになる。民主主義の世界では、学生たちは都合よく誰かを欺いたり、出し抜いたりしてうまく生きてきた。たがこの村ではそれは見過ごされない。ルールを犯したものとして、酷い方法で断罪さるのだ。しかしダニーだけは恐ろしさに混乱しながらも、その方法に従うことを覚えていく。彼女はアメリカで家族を心中という酷い状態で失い、彼女自身も精神を病んでしまっていた。真面目で敏感で神経質な彼女は不安の中に住んでおり『家族』という言葉を聞くだけで涙がこみ上げてくる様な状態だった。だがスウェーデンのこの村の女性たちの異常な共感精神のよって、彼女は違和感を感じながらも、その大きな家族に一体感を感じ始めていく。

長らく続いてきた民主主義というものが、現代、揺らいできているの感じずにはいられない。経済至上主義の競争原理にのっとって産業は発達し 個人の暮らしは豊かに便利になった。そして自由も手に入れた。しかし一方で孤独を肥大化することになっているのは身に染みて感じる。きっとこのヒロインはそんな世界の犠牲者であったのかもしれない。映画の冒頭 旅に出る前に情緒不安定なダニーがボーイフレンドに何度も電話をして心を沈めようとする、、が彼の事務的な態度にかえって不安を募らせる、なんだか見に覚えにおある状況だなぁと思った。男女の不安への対処法は随分違うから、それでお互いを傷つけ合うことほど胸がかき乱されることはない。そんな中、ダニーよりさらに不安定な妹が、両親をも巻き添いにして自殺をする。私にはその場面がこの映画の中で一番怖いシーンだった。画面も暗く、恐怖を煽る様な映像だったからだろうか。
一方 スウエーデンのその村の祝祭の中でも死者が多く描かれているし、もちろん恐ろしいものではある。しかし、光あふれる中での死は、より現実的であからさまで味気なないものに見えた。自然が日々生まれ育ってまた枯れて亡くなっていく様に、宿命をただ受け入れていくことである。自然や時の流れで自ずと朽ちていくだけで 決して人間が特別なわけではない。あるいは自然に選ばれて身を捧げる時は、抵抗する事なく受け入れる。神羅万象の一部でありそれは無情である、ただそれだけ。死ぬことは”自然に還る”のだというそんなふうに描かれている様に見えた。私も半世紀も生きてきて、人間が生きて死ぬということは、結局その様なものなのかもしれないと思うようになってきた。わかりやすい因果関係で終息するほどこの世は単純じゃなく、予測不可能な反応が、予測不可能な時に、予測不可能な場所で起こるのであること、5年前 予定通り開催できると思っていたオリンピックも今感染病によって開催は危ぶまれている。5年後がわからない世界を作ってしまったのはこの人間でもあるし、強欲に世界をコントロールしようとした結果 地球が予測不可能な出来事を起こす様な状態にまでなっているのだと思えてならないのだ。人工知能は役立たずの出来事が、これからも起こりうるのではないかと思っている。この映画はその意味で 個人の欲を消し共同体や取り巻く環境のために生きること 1人の悲しみはみんなの悲しみと喜怒哀楽までも徹底的に共有する世界、孤独という概念さえ無いかもしれない世界を あなたはどう思うかと 投げかけてる様に感じる。
現実的に映画の世界の様に儀礼はやりすぎであるとしても、共有するというシステムは実際に徐々に広まりつつあるし、民主社会主義という考えもあるそうだ。そう考えると真面目で、弱く繊細な人も生きやすい社会として、”有り”かもしれないと、少なくとも 最後のヒロイン ダニーの微笑みがそれを物語っていた様に思う。
2020年 アメリカ 監督アリ・アスター