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THE SQUARE 思いやりの聖域

芸術家を扱う映画は多く見てきたけれど、現代美術の世界を客観的に皮肉った映画は私自身はこの作品が初めてかもしれない。感想としては私にとってはブラックユーモアが効いた痛快なものだった。この映画の中で描かれている現代美術というものを、枠の外から見た時に、なんて滑稽なのかと感じられずにはいられない作品だ。特に知的に気取ったキュレーターという仕事の空虚さが、社会と美術館の中にあるアート作品の掲げる偽善との境目で垣間見られるのは、苦笑いするしかないのである。

もちろんこれを笑えるのも、少なからず私自身が美術界隈を知っているからだろう。かと言って知らないと楽しめないというわけではない、少なくとも現代美術館に足を運んだ事がある人ならわかる独特の世界だ。現代美術界隈に浸かっていると、気がつかないが その辺に精通してない人々にとってはコンテンポラリーアートは価値を見出すのは難しい。アートの文脈の中のアートであったりすることも多々あり、社会問題を視覚で現して、かえってわかり辛くしたり。とにかく表現としてカテゴライズが難しい事は全部アートという入れ物に押し込んでいるのである。喜んでいる人たちはその界隈の人たち(アーティスト、キュレーター、ギャラリスト)と、富裕層人たちが知的な趣味としてアート収集(コレクター)なんかして、意味のわからない作品をわかったように振る舞っているって世界だ。差別や貧困などのテーマにした作品を展示したり、観賞したりしてそれを称賛したとしても、美術館の外に出れば現実の世界で差別を行なっている張本人になってたりして、だいたい あの真っ白な壁の現実離れした世界でそんな問題見せつけられても、実感として感じている人はどのくらいいるのか?美術館の中と外、アートの社会の境目が無くなったらどうなるのか? 現代アートの世界の矛盾はもう1960年代からあるのだということを見てみぬふりで来たという事をある社会学者も言われていたけれど、この映画はその辺を見事に現し切ったように思っている。

それともう一つは 上記したようなアート界の人たちと そうでない人たちの間に起こる芸術への理解の差だ。愛知トリエンナーレの騒ぎの頃に、この映画をネット配信で見たのだけれど、少し状況として重なるシーンがあった。いくら見せる方が真っ当な動機によって作品を制作していたとしても、ビジュアルで見えるものと、それがあまりに隔ったっていたとしたら、現代は特に視覚の方が即座に伝染していくという事。視覚分野であまりに文脈を重視した場合 やはり大きな誤解を招きかねない、ましてやパブリックが必ずしもアートの本当の意味を知らない場合は尚更である。『アートとは癒しをくれるもの、楽しいもの』だと思っていた、という一般の方の発言を聞いた時は教育に関わっているものとして反省する思いがした。また 今日のアートの町おこしイベントもそう言った勘違いを醸成してきたように思う。

『アートは心に傷をつけるもの』これは社会学者 宮台真司さんの言葉だ。

この映画も私の心に浅いけど傷をつけた一つになった。

2017 スウェーデンドイツフランスデンマーク合作 監督リューベンオストルンド 第70回カンヌ映画祭 パルムドール賞受賞 http://www.transformer.co.jp/m/thesquare/

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